諏訪神社、奇祭と神々の力比べ

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6年に一度、御柱と呼ばれる4本の杭を立てる御柱祭が行われる諏訪神社は、その1度見たら忘れられない祭りが印象的です。
諏訪神社の祭神は建御名方神(タケミナカタノカミ)です。
大国主命の子であり、狩猟の神、「山の神」といわれます。ただし、「ミナカタ」という名前から、元々は水神であるという説もあり、田に豊穣をもたらす水利のカミとしてもまつられ、農業の神としても風の神としてもまつられています。

目次

神々の力くらべ

諏訪神社は、もとは長野県の諏訪湖の周辺でまつられた地方神でした。
その神は、もとは弓矢に長じた狩猟神の姿をしていました。

このなごりは、現在も行なわれている諏訪上社の御頭祭(おんとうさい)にみられます。
この祭りには、鹿の頭を神前にささげる神事があります。
狩猟によって生活していた縄文人がまつっていた神が、さまざまな変遷をへて諏訪神になったのでしょう。

諏訪神社の祭神を建御名方神という。
『古事記』などは、その神を高天原から来た武髪槌神(たけみかづちのかみ)と争って敗れた神とします。
天照大神の使者となった武婆槌神が大国主命に地上の支配権を皇室にさし出せと命じたところ、建御名方神(たけみなかたのかみ)が反発した。
かれは、大国主命の二人の有力な子神の一人であった。
このとき、武婆槌神と建御名方神との力くらべが行なわれたが、敗れた建御名方神は諏訪に逃げたという。
かれはそのとき、「自分は諏訪の地から出ないので、許してください」と言ったという。

鎌倉武士の守護神になる

日本神話で敗者とされた諏訪の神が、のちに武芸神として慕われた。

一見すれば矛盾に満ちた話であるが、中世の人は「世界一強い神に戦いを挑んだ勇者」に共感をもったのです。
当時の武士が、しばしば名誉のために自分より有力な相手と戦わねばならぬ場面に出合ったからです。

中世の戦いは、主に弓矢で行なわれた。
そこで、武士たちは狩猟の神に弓術の上達を願った。
そして、諏訪の神から強者に立ちむかう勇気ももらおうとした。

このような理由で、諏訪信仰は中世の武士のあいだに広まったが、農民たちも諏訪の神を天災を退けてくれる強い神として慕った。
これによって五穀豊穣、武運長久などを願う諏訪信仰が広まった。

しかし、諏訪神の信者が信濃、越後の二国に集中していることに注意する必要もあります。
5700社の諏訪神社のなかの1000社あまりが長野県に、1500社あまりが新潟県にある。
特定の地域に根を張りつつ全国化したのが、諏訪信仰なのです。

古代から続いてきた御柱祭の歴史

古代人が神を祭るには二つの形があり、一つは岩に出現させる岩座(いわくら)信仰であり、一つは木に神を下らせる神離(ひもろぎ)信仰があります。
特に主流として神離信仰が発展し、人々は森の中の大きな木を神祭りの社として神社の原形をつくりました。

実は古代には日本中で御柱祭が行われていました。
日本三大御柱として出雲の大黒柱、伊勢の心の御柱、そして諏訪の御柱があります。
この三つの中で諏訪の御柱だけが古代のままの姿で伝えられていると思われます。

御柱祭は寅年と申年の七年目ごとに、諏訪地方を祭一色に染め上げて勇壮に展開されます。
諏訪大社の社殿を新しく造り替える祭、つまり、式年造営のことです。
大変な費用と労力がかかるため、7年稼せいで1年ではたく、御柱年は嫁を取らない、死にも出来ない、とタブーがあるほど盛大です。

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御柱祭の中心になる行事が、御柱と呼ばれる大木を切り出し、運び、社殿の四隅に建てる一連の作業です。
諏訪大社上社、下社合わせて16本の御柱が必要です。
諏訪大社上社本宮、前宮の御柱8本は八ヶ岳山麓の御小屋の山のもみの大木から選ばれます。
本宮一之御柱は樹齢200年の大木です。
切り倒された御柱は山出し3日、里曳き3日の計6日がかりで約20km先の上社まで御柱街道を曳いていきます。

「御小屋の山のもみの木は、里へ下りて神となる」木遣り(きやり)唄を唄いながら、曳き子が力を合わせて大きな8本の柱を曳きつづけます。
途中、段差30mの崖の上から御柱を曳き落とす豪快な「木落とし」があります。

人と御柱は一体となり激しい興奮に包まれながら8本の御柱が次々と木落としされます。
木落としを終えた「御柱は御柱洗い」と呼ばれる宮川の川越しです。
清流に清められた御柱は、およそ1ヶ月の問御柱屋敷で休息をした後、上社境内に曳かれていきます。

到着した御柱は先端を三角の錘状に作りあげる冠落としの儀を受けた後、若者たちを乗せ御柱が垂直に立てられ御柱祭が終了します。
御柱は太さ約1m、良さ約17m、重さ約10tで本宮、前宮とも一の柱が一番大きく、二、三、四となるにつれて、長さが約1.5mずっ短くなっていきます。
太さについても順序は同じです。

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上社は男神で「ツノ」があり、下社は女神で「ツノ」がありません。
この「ツノ」のことを「めどでこ」と呼び、太い丸太を二本角の様にさします。
山出しの八ヶ岳山麓は平坦ですが、雨が降ると火山灰土のため、また曳行の安定を図るために工夫された曳子の知恵であると思われます。

昔は女人禁制、女性は手も触れることもできませんでしたが、戦後は老若男女、観光客も自由に参加できるようになりました。
参加して初めてすばらしさがわかる祭りでもあります。

以上、諏訪神社、奇祭と神々の力比べでした。

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