氏神と氏子入りと日本人の祖霊信仰について

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古事記を読むと私たちは祖先を辿っていくと、いずれかの神様にたどり着くようです。
これを祖霊信仰といい、先祖の霊を神として信仰することです。

人間である私たちが、実は神様の末裔であるということは、想像するだけで心が躍ってきます。
神の子であるなら、それに相応しい行動や考えを持たなければならないというのは、当然のことであると思います。

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祖霊の実体は、「山の神」だった

その昔、採集狩猟時代には私たちの祖先は山野を駆けめぐり、山や空、風や雨、木々や石など自然界にあるあらゆるものに大いなる意志を感じて、自然崇拝を行なっていました。

やがて人々が一箇所に定住するようになると、地域共同体が生まれました。
いわば地元を原点とする考え方です。

共同体の人々は春に稲の成長を願って、秋には豊かな実りを感謝して、それぞれ神を祭り、こう考えたのです。

春になると山から「山の神」が降りてきて「田の神」となり、稲の成長を見守ってくれます。
秋に収穫が終われば、山に帰って「山の神」にもどる、と。

では祖霊の実体がなぜ、この「山の神」なのか。

死のケガレを忌み嫌っていた当時の人々は、自分たちが死んだらどこに行くのかを真剣に考えたことでしょう。

その結果、死後は山の中に行くと信じられました。

だから祖先は山の中にいて、その霊が自分たちを見守っていると考えたのです。
ここから、「山の神」と「祖霊」が同じものであるとつながったようです。

氏神が生まれた理由

やがて小さな共同体は統合され整備されていき、大きな共同体である国づくりがはじまりました。

そのころから「氏神」が祭られるようになったようです。

氏とは、血縁関係のある家族群で構成された集団のことです。
古代、「氏神」は氏一族の祖先神を意味していたという。
氏一族の祖先の霊を神として祭ったわけです。
これも祖霊信仰です。

平安時代が終わって、武士集団が政権を握って以降、さまざまな社会変動のなかで、氏族集団は瓦解していき、本来の「氏神」信仰は薄らいでしまいました。

地方、荘園(貴族・寺社の私的領地)の領主たちは自分の領地を護るため、寺院鎮守にならって「鎮守の神」をさかんに勧請しました。

つまり土地や寺院などを鎮護するといわれる神の分霊をよそからもってきて、新しく神社を創建し、祭ったわけです。

また、以前から地域に祭られていた「氏神」も「鎮守の神」と呼ばれるようになって、「氏神」の影はますます薄くなります。

ところが江戸時代、将軍家が出身地の神を信仰したため、今度は「産士神」信仰が盛んになります。

こうして「鎮守の神」あるいは「産土神」といろいろだったりする神が、こぞって「氏神」と呼ばれるようになったと考えられています。

そのため、本来なら氏神の恵みを受ける氏子も単に地域の守り神を敬う、共同体の一員をさすようになったのです。

現代にも継承され続けている氏神と氏子の親密な関係

この氏神と氏子の関係は、今につながっています。

たとえば、子どもが生まれると「お宮参り」をします。
これは共同体への加入の儀式みたいなものなので、いわゆる「氏子入り」です。

氏神さまに認めてもらい、同時に子どもが平穏無事に成長することを祈願するのです。

お宮参りだけではありません。
お正月や七五三などでも神社にお参りにいきます。
また町内のお祭りに参加した経験は誰にでもあるはずです。

日本人と「神社と神様」は切っても切れない関係にあるのです。

春分の日は昼夜の長さが同じになります。この日には、お墓参りなど仏事を行う人が多い。古来から日本人には「祖先を敬う」という風習が根強くありまし...

日本人と神様の自然な関係

人々の日常生活や風習には、神への信仰が心の奥深くに組み込まれています。
なぜ、そうなったのかといえば、考えられる原因は、神道の源流といわれる自然崇拝があげられます。

日本の神は、自然現象に対する「畏怖」や「脅威」から生まれています。
この地球上で人間が暮らす中で、無意識に感じ取った目に見えない存在のそれはきわめて自然発生的なものです。
伝道者に無理矢理押しつけられたものでもなく、どこかの誰かがによって作られた宗教でもない。
その証拠に神様への信仰には、教典や教義といったバイブルがありません。

しいて挙げれば、神の素性がのっている『古事記」や『日本書紀』でしょう。
また、神への信仰を言葉で説明しようとする人たちが、ほとんどいなかったこともあります。
いたとしても、それを代弁する巫女など、ごく限られた人たちだった。

神様の存在は人間が持つ五感で感じ取るものであり、その教えを説く神様の声は意識で聞くものという考えが常識だったのです。
そのことに対して疑問を全く持たなかったのです。
それだけその存在が実際にあるということを、信じていた証拠でしょう。

むしろ「言挙げせず」、すなわち言葉で説くべきではないというのが伝統的スタイルだった。
こうしたことから神への信仰は宗教と意識されずに、自然と日本人の心に染み込み、今日にいたったと考えられます。

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