露骨、たわけ者、心中~知ってなるほどな由来の日本語

露骨な表現といいますが、字面をみるとなんだか恐ろしげな感じがしますが、どんな由来があるのでしょう。
時代劇など「このたわけ者がっ!」と一喝される場面をよくみますが、「たわけ」ってどういう意味なのでしょう。
あまりニュースでは見たくない日本語ですが、「心中」という言葉は今と違って昔は違う意味だったそうです。
それらの言葉に、どんな由来があるのでしょうか?

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「露骨」の骨は、実は戦死者の骨のことだった?

露骨な表現という言われると、何も隠さずありのままを表現する様子をいいます。

どちらかといえば「人の非を露骨にいうのはどうかと思う」というような、思慮や思いやりが足りない非難の気持ちをこめて用いられることが多い日本語です。

日常よく使う日本語ですが、この語源は、樋口清之氏によれば、戦死して弔う者もなく骨を戦場にさらすという意味であるというそうです。

つまり露骨とは遺骨を意味します。

それが転じて、むき出しなこと、露わなことという意味の露骨という言葉になったという。

そうとは知らず、使っている人がほとんどだと思います。

また、自分の悪いところをわざとさらけ出すことを「露悪」、そういう傾向の人を「露悪趣味」というが、なにごとにも、露わにし過ぎるのは気分を壊されるものです。

現代は何でも公開することが求められているような傾向がありますが、日本人らしく相手のことを思いやった表現を心がけたいものです。

「たわけ者」は遺産相続で遺産分けする際の方法に由来する日本語?

時代劇などで主人が「この、たわけ者」一喝する場面をよく見ます。また、名古屋人は方言で「馬鹿」と同じ意味で「たわけ」といったりします。

「たわけ」は、「戯ける(たわける)」からできた語で、ふざけること、馬鹿なことをするという意味の日本語です。

「戯を尽くす」とは、甚だしく馬鹿げた言動をすることをいう。そこから、おろか者、あほうという意味になったそうです。

おもしろい説に「たわけ」は、「田分」からきたとするものがあります。

字の通り遺産相続の際に田を分けることをいう。

『滄浪夜話(そうろうやわ)』という本に「中農以下は男子何人あるとも田畑を分つくからず。たはけ者といふ諺もこれよりはじまる」とあります。
これは子供の人数で田畑を分けると、孫の代、ひ孫の代へ受け継がれていくうちに、それぞれの持つ面積は狭くなり、少量の収穫しか入らず家系が衰退するということ。

そのような愚かなことを馬鹿にして、「たわけ者」と呼ぶようになったとする説が多い。

心中は愛の証

○○心中というと男女の情死をイメージしますが、今ではサラ金苦で一家心中とか横恋慕男が無理心中迫る、というように使っています。いずれの場合にも、心中を死の意味で使っています。

しかし、心中という日本語の本当の意味は、相愛の男女がその真実を相手に示す心だてや、証拠を「心中」といいました。

歌舞伎脚本『傾城仏の原』に「それならばおれに惚れたといふ心中を見しや」とありますが、江戸時代の遊里では、この証しとして、起請文、髪切り、指切り、入れ墨をする、生爪をはがすなどしたそうです。

これを、心中立するといったが、この心中立の最高の形として、死をかけた心中死が生まれたのです。

元禄期の近松門左衛門『曽根崎心中』では、実際に起こった事件から題材をとった作品として有名です。
この人形浄瑠璃が大当たりとなってから、近松は『心中天綱島』『心中万年草』などの作品を次々に発表し、いわゆる心中物は「世話物」の中心をなすようになったのです。

『曽根崎心中』が有名になってから「心中」が情死の意味となり、転じて、親子心中、一家心中など一般に二人以上の者が共に死ぬことも、心中というようになったのです。

時には「会社と心中する気で、やってくれ」と、一蓮托生と同じ意味で、行動・運命を共にする言葉として使われることもあります。

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