末期の水と葬儀の心

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葬儀は、遺族が死者に対する感謝の気持ちをあらわすための行事です。

それは自分の父母もしくは夫や妻、祖父母から受けた恩を思い、死者がやすらかに眠ることを祈るものです。

中には死者をよくまつらないと崇られるとか、盛大な葬式を行なわないと死者が極楽に行けないといったことをいう人もいます。

しかし、それは本来の正しい意味では無く、後でつくられた都市伝説のようなものです。

古い時代の日本人は、神道にもとづいて、こう考えていました。

「死者はすべて、清らかな霊魂になって自分たちを守ってくれる」

肉体を失って霊魂になって神の住む世界に帰った者は、悩みのない平穏な生活を送ると考えていたのです。

だから見栄を張って、無意味に盛大な葬式をひらく必要はありません。
心の底から死者を慕う者だけがあつまって、和やかな葬儀を行なうのが一番良いのです。

「日本書紀」には、敏達天皇の葬儀の席で、当時の朝廷の二人の有力者の反目の話を伝えています。
そのころ権力争いをしていた、蘇我馬子と物部守屋が、相手の葬儀でのふるまいを非難し合ったというのです。
このとき守屋が「馬子は体にあわない長い刀を帯びていた」と言うと、馬子が「守屋の足はふるえていた」と言い返した。

このように互いに不仲な人間が、葬儀の席で、死者を悼む気持ちを忘れて張り合うことは、現代でもあることです。
しかし大がかりな葬儀のときには遺族は、会葬者の焼香や玉串を捧げる順番や席次をめぐる争いを起こさぬよう配慮すべきだと思います。

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遺族の最初の仕事

臨終を迎えた者に家族が水を与える儀式を、「末期の水」という。

これは「死に水」ともよばれるもので、葬儀における遺族の最初の仕事です。

臨終に立ち会った遺族は、縁の深い近親者から順番に、ガーゼや脱脂綿を水に浸したものを亡くなった者の唇につけます。
これはあの世に旅立つ故人の、「のどの渇きをいやすもの」であると考えられています。

しかし末期の水は、古くは神道の考えにもとづいて水を用いて「死の穢れを清める」ものであったらしい。

一方、「長阿含経」という仏典には、釈尊が亡くなる直前に水を求めたときに、鬼神が水を与えたという話が記されています。これによって、末期の水は死者の渇きをいやすものとされたという。

いろいろな説がありますが、死者をやすらかにあの世に送りたいという遺族の気持ちが、末期の水の儀式をつくったというのは共通のようです。

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