和装は着付けで決まる!身なりとふるまいの意味とは?

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洋服が日常化している現代で、これまでは特別な機会がなければ着物など和装をすることはありませんでした。
しかし、若者の間で和文化への関心が高まり、和服を日常的に着る人も増えてきました。

しかしまだまだ一般的には和服は、正月や婚礼、葬礼などの特別な儀式の場だけに用いられる特別な服だと考える人も多い。

和服を粋に着こなしている人を目にすると、どこか懐かしさと、伝統美に対する憧れのようなものを感じます。

なぜ、和服を着る人は少なくなってしまったのでしょうか?

目次

和服の一般的なイメージ

和服や着物と聞いて、一般にイメージするのは「着付けが難しそう」ということです。
その点が、洋服と大きく異なるところです。

和服は、一定の形をもつ服を、着る人の体つきに応じて着付ます。
だから和服は着付けによって、着る人の体つきに合わせることが可能になります。

だから、着付けの上手下手によって和服の印象が、全く変わってきます。
そんな難しい印象があるからこそ、着こなしている人を見ると、洋服よりも魅力的に映るのかもしれません。

和服は家の財産であり、柔軟に仕立て直しができるエコ商品

高価な絹織物でつくった和服は、父から息子、母から娘へとたいせつに受け継がれます。

和服は着付けによって調整できるので、親と子の体型が違っても着ることができるので、代々受け継いでいくことが可能なのです。

仕立て方法も洋服とは異なります。
和服の場合は直線裁断によって仕立てられています。

昔の日本の主婦は、母から教わって和服の裁縫を身につけることが常識でした。

和服は、古代から現在まで受け継がれた日本の伝統的な衣装です。
古代の貴族が下着に用いた小袖が、鎌倉時代以後に普段用の上着になりました。そしてその小袖のつく
りに、さまざまな工夫を加えてよそ行きの和服がつくられました。

かっちりと着る洋服と違って、その仕立て方法からすき間の多い和服は、風通しがよく湿度の高い日本の生活にあっています。

古代日本人が考え出したもっとも快適な衣服の形式が、和服であり、それが現在まで受け継がれてきたのです。

和服は右前に合わせるか、左前に合わせるのか?

和服は右前に着るもの。ところがこの「右前」は、私たちの日常の感覚と反対です。

「右前」といえば、和服の右側の襟を前に出すことをあらわすと思われがちですが、実際には、自分から見て右側の襟を肌に近い側にすることを「右前」という。つまり自分から見て右側の襟を内側、左側の襟を外側にします。

和服の「右前」「左前」は、体に近い側の布を前の布、その上に重ねる布を後の布とする考えからつくられた言葉。

このような右前の形式で和服を着ると、右手を襟のなかに入れて和服の右側の襟を引っ張って衣服の乱れをなおすことができます。

左側の襟は、右手で外側からなおせます。
ところが「左前」に着ると、利き腕でない左手で衣服をなならない。だから「右前」はとても合理的な着方なのです。

右前の起源は古代の中国

日本の「右前」の言葉は、古代中国の「右衽(うじん)」が元になっています。
右衽とは右側の襟をなかにする着方。
古代の中国人は右衽の衣服を着ていました。
それに対して左衽は、未開の人びとの風習だと考えたのです。

右前は天武天皇の命令だった

古代日本人は、衣服を左前に着ています。埴輪の人物の服は、左前です。

そして奈良時代直前にあたる七世紀末に、当時日本を司っていた天武天皇が「衣服を左裾から右椎にかえるように」という命令をだしました。

このことを命じた天武天皇は、中国との国交の場で日本が中国風の習俗をとる先進国であることを示す必要を感じたのです。

葬儀のときに、死者に左前の着物を着せる

この風習は、死者の持ちものをすべて生者と反対にして、死者が生き返ることを防ぐという考えから出たもの。死者が自分で着物を直すことができないように左前でよいと考えたのです。

また家業が傾くことをあらわす、「左前になる」という言葉があります。反省心もなくなって、なりゆきまかせにする経営者は、左前の服を着た者と変わらないという意味です。

和服の着方で昔の日本人は、和服を右前に着て服が乱れるたびにこまめになおして、つねに他人に見られることを意識して生活していたことがわかります。

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