柿の木から落ちると3年後に死ぬ

秋になると旬を迎える果実といえば柿。

どこでも育つので、庭に植えている家もよく見ます。

昔は柿が実っていると、子供は率先して木に登って実を取って、そのまま食べたものです。中には渋柿があって、知らずにかじるととんでもない目にあったりした思い出があります。

でも今は柿が実っていても、木登りをする子供自体が減ってしまいました。木登りができない大人や子供、そんな現代ではこのような迷信を聞いても、ピンと来ないかもしれません。

しかし、人の生活環境に密接な関係にある柿だからこそ、「柿の木から落ちると3年後に死ぬ」というような不吉な予告のような迷信が、なぜ現代に至るまで伝承されてきたのか?不思議です。

柿

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縄文時代から親しまれてきた柿の木

「柿の木から落ちたら3年後に死ぬ」という言い伝えに、もちろん科学的根拠はありません。

それなのに昔から語り継がれてきた理由は何でしょうか。

諸説ありますが、そこには日本人の柿に対する特別な思いが関係しているようです。

柿は数ある中でも、古くから日本で栽培されてきた果実のひとつです。

平安時代に書かれた日本最古の漢和辞書『倭名類緊抄』にも、すでに柿の栽培に関しての記述があります。

さらに、縄文時代の遺跡からは柿の種子も出土しており、有史以前から日本人は柿の甘味を大切にしてきたことがわかります。

神の恵みが宿る木を守るために誕生した?

日本人は柿を「神の恵み」と呼んでいました。

それには生活に、喜びを与えてくれる果実だったことが関係しているでしょう。

今では当たり前のようにあらゆる食材や、菓子に使われている甘味料の砂糖ですが、はるか昔はそんなものはありません。

甘いものといえば、果実や花の蜜のようなものでしょう。

だから砂糖のなかった時代、柿の甘味は陶酔を人々に与えてきたのではないでしょうか。

それだけ甘みが貴重品だったので、実りを無駄にすることなく保存用に干し柿にしたり、渋柿でも焼酎につけて食べたりするなど、さまざまな柿を食する方法が開発ざれ伝承されています。

さらに、真っ赤に熟した柿の実が、人魂のように見えたこともあって、日本人は柿を特別な存在として崇めるようになっていきました。このあたりの昔の人の感性はとても豊かであることがわかります。

だからこの「柿の木から落ちると3年後に死ぬ」という言い伝えは、そんな神の恵み、人魂の宿る柿の木に、子どもが登って遊ぶことを戒めるために、落ちると死ぬという恐怖感を植えつけようとしたものと推察されます。

もちろん、子どもの無事を祈る気持ちも込められていたはずです。

柿の木は生育が早くてどんどん伸びますが、枝は脆くて折れやすい。

そのため、子どもが落下してケガをすることを危倶したのでしょう。

死亡時期の3年後という数字の根拠もよくわかりません。

落ちたときにケガがなくとも、再び子どもが木に登ることを無意識のうちにためらうように、3年後という時間が設定されたというのが定説になっています。

人の生活に関わる柿に関する史実

◎岐阜県瑞浪市の第三紀層から柿の化石が見つかる

◎縄文時代や弥生時代の遺跡から柿の種が発掘されている

◎万葉歌人で有名な柿本人麻呂は、屋敷に柿の木があったので柿本と名乗っていた

◎古事記(712年)や日本書紀(720年)に人名や地名で多数記述

◎藤原宮(694~710年)遺跡から、柿の種子が多量に発見される

◎平城京(710~784年)遺跡から柿の値段を書いた木簡が発掘される

◎日本最古の薬物辞典である平安時代の「本草和名(900年代初期)」に「加岐」として記述

◎平安時代の辞典「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」には「賀岐」として記述

◎平安時代の法典「延喜式(927年)」に祭礼用の菓子として使われ、宮廷でも栽培されていたと記述

◎鎌倉時代の1214年、神奈川県川崎市で突然変異による甘柿が発見される。現在の禅師丸で世界最古の甘柿

◎室町時代の柿の産地に美濃・近江・大和が記されている

◎南北朝から室町時代の「庭訓往来」に、柿がすでに栽培されていたという記述

◎16世紀に来日したポルトガル人により柿がヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸にも広まる

ここからカキが世界共通の生物分類に使われる「学名」に使われることになった。学名は「Diospyros kaki(ディオスピロス・カキ)」、意味は「神様の食べ物」

干柿が千利休の茶菓子に用いられていた

◎関ヶ原の合戦の際、徳川家康に美濃の住職が干柿を献上した。大垣城攻略中だった家康は「大柿(大垣)が手に入り吉祥」と喜んだ

◎江戸時代には品種も増え、御所、蜂谷、西條、祇園坊といった今日も栽培されている品種が多数の文献に記載されている。江戸時代末には200品種ほどが栽培されていた。

◎明治末から昭和初期、農商務省により全国各地の柿が1000種ほどに分類・整理された。

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