鏡をまたいではいけない

何かと忙しい朝、身だしなみチェックに時間をとられるあまり、遅刻しそうになり、出がけにあわてて置いていた手鏡をまたいでしまう。

すると、苦虫を噛みつぶしたような顔の両親に「鏡をまたぐなんて、不謹慎なことをして!」と怒られたことってありませんか?

鏡と女性

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鏡をまたぐことは三種の神器の一つを冒涜する行為

古来より、天皇家に伝わる三種の神器はご存知でしょうか?

現代の天皇家まで受け継がれている先祖代々の宝物である神器とは、「剣」と「勾玉」、そして「鏡」です。

その鏡は少しでも傷つけたら、不幸が起こると考えられ、とても丁重に扱われてきました。

鏡が三種の神器の一つであることからもわかるように、日本人は昔から鏡を神格化して崇めてきました。

何故かと言うと嘘偽りのない人の姿を、左右反対とはいえ映し出すため、特別な力が宿っていると信じたのです。

やがて、その考えのもと、鏡は神体として日本全国の神社などに奉られ、神霊が降臨する依り代になっていったのです。

だから神社に行くと、神殿の真ん中の奥の方に丸い鏡が祀られているのをよく見ると思います。

この言い伝えは日本人にとって聖なる代物である鏡をまたぐなんて、冒漕以外の何ものでもない。叱責されるのも、仕方ないことだと言っているのです。

霊力を持つと信じられた鏡の魅力

鏡が割れると不吉と考えたり、鏡台にカバーをかける習慣が日本人にはあります。これは、鏡の霊力に対する観念が広く生活習慣の中にも根を下ろしていたということを証明しています。

自分の姿といえども、意識して見ている時以外に鏡に映っている自分を見て、びっくりしちゃう時や、鏡から誰かが覗いているのではないかという視線を感じたり、どこか怖さを感じてしまうことがあります。

天孫降臨では天照大神は「此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし」(この鏡を私だと思って大切にしなさい)との神勅を出しています。

古墳時代には、邪馬台国の女王卑弥呼が魏の王より銅鏡を贈られた故事があります。

霊力を特別に持った鏡は、事物の真の姿を映し出すと思われていたので、地獄の支配者閻魔大王の側には浄玻璃鏡という鏡があり、彼の前に引き出された人間の罪業を暴き出すという。

現実的な戒めとしての意味

かつて鏡は高価なものだったので、跨ごうとして、うっかりと踏みつけて割ってしまっては、貴重な高級品が台無しになります。おまけに、その破片でケガをしかねない。

そんな危険を避ける意味でも、鏡をまたいではいけないという戒めの迷信が伝わるようになりました。

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