大漁旗を意味する海の神が八幡神社として、武勇の神になった理由

大漁旗を意味する海の神が八幡神社として、武勇の神になった理由

全国的に多い神社といえば、お稲荷さんが1番ですが、次に多い神社は「八幡さま」と親しまれている八幡神社ではないでしょうか。
八幡神(はちまんしん やはたのかみ)は、神社では誉田別尊(ほんだわけのみこと)、あるいは諡号(死後の贈り名)の応神天皇の祭神名で祀られています。

庶民的に親しまれている八幡神社ですが、歴史好きの人なら 源氏の守護神の軍神(戦神)というイメージが強いはずです。
でも、この性格は八幡信仰の発展過程で生じたもので、源流にある性格、その原像については謎につつまれているそうです。

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なぜか海の神様が応神天皇になったという理由

八幡信仰は、九州の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)から全国に広まったことはよく知られています。
全国にある八幡神社の発祥は、宇佐八幡宮になります。

古代の宇佐という所は、瀬戸内海方面と大陸にむかう航路との中継地として重んじられていました。
そして、そこに宇佐氏という有力な航海民の首長がいました。

かれらは、自家の祖先神としての海神をまつっていましたが、のちにその神が八幡の神と呼ばれるようになりました。

「八幡」とは、船に多くの大漁旗が立てられたありさまをさす言葉であったといいます。
「幡(はた)」とは「神」の寄りつく「依り代(よりしろ)」としての「旗(はた)」を意味する言葉。
八幡(やはた)は八つ(「数多く」を意味する)の旗を意味しています。
最初は「やはた」と読んでいたものが、仏教が伝来してから「はちまん」という読み方に変わったといわれています。

四世紀に朝廷は、九州を支配する際に宇佐氏の力をかりました。
そのため早くから、王家が宇佐八幡宮を重んじるようになっていたのです。

さらに奈良時代の東大寺建立のときには、八幡宮の地位を高める出来事が起きました。
宇佐の巫女に、「奈良に赴いて大仏づくりを助けたい」という神託が下ったのです。
東大寺の大仏づくりを発願した聖武天皇は、このお告げに大きな力を得たそうです。
それを理由に奈良に手向山八幡宮が建てられ、皇室が八幡神をまつるようになったのです。

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そして源氏の神になる

宇佐八幡宮には、六世紀の欽明天皇のときに宇佐神が神職に「われは応神天皇である」というお告げを下したとする伝えがあります。
これが、八幡神が応神天皇であるいわれるゆえんです。

しかし、この伝えは平安時代後期にできたものであるらしいと、後の研究でわかってきました。
ではなぜ、土着の神様が天皇と結びついたのでしょうか?

それは当時の「戦」事情に理由があります。
平安時代後期には、武家の棟梁である清和源氏の八幡信仰が高まっていました。
武勇で知られる源義家は、石清水八幡宮で元服して「八幡太郎」の通称を用いました。

このように源氏が、八幡神と朝鮮遠征にまつわる応神天皇とを結びつけたことで、武勇の神様として崇め敬われたのだと思います。

清和源氏が天下をとって鎌倉幕府をひらいたことをきっかけに、八幡信仰は全国の武士のあいだに広まっていきました。
そして、国家鎮護や家運隆昌をもたらす神として、八幡神が多くの人に愛されることになりました。

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日本の三大八幡神社

八幡神を祀る神社は八幡宮(八幡神社・八幡社・八幡さま・若宮神社を含む)と呼ばれています。
その数は1万社とも2万社とも言われ、稲荷神社に次いで全国2位です。

八幡神社の総本社は大分県宇佐市の宇佐神宮(宇佐八幡宮)で、大分県の宇佐地方一円にいた大神氏の氏神であったと考えられています。
もともと農耕神あるいは海の神ということですが、柳田國男によると鍛冶の神ではないかと考察しています。

全国に点在する八幡神社ですが、そのなかでもとりわけ別格視されるのが、日本の三大八幡神社です。

俗に三大八幡と呼ばれる神社は、以下の4社のうち「宇佐・石清水」に「筥崎・鶴岡」のいずれかを合わせた3社とされています。

・宇佐神宮(大分県宇佐市) – 官幣大社、名神大社、勅祭社

・石清水八幡宮(京都府八幡市) – 官幣大社、二十二社、勅祭社

・筥崎宮(福岡県福岡市東区) – 官幣大社、名神大社

・鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市) – 国幣中社

以上、大漁旗を意味する海の神が八幡神社として、武勇の神になった理由でした。

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