お花見の由来。桜と日本人の深い関わりを知る。

梅の開花時期が過ぎて、桜が開花しはじめると、楽しい気分になる日本人は多い。
5分咲きにもなると、あちこちの桜の名所でお花見がさかんに行なわれます。

暖かくなりはじめた時期に、野外にあつまってすわり、身近な仲間と宴会をひらくのは楽しいものです。
新生活でまだ慣れていない新人を迎えた会社やサークルでは、親睦を深める良い機会となります。
そしてこの時期には、お花見スポットを案内する雑誌や、開花情報を報道するニュース記事が毎日、ネットや、テレビを賑わせます。
Facebookなどでも、桜の写真が多く投稿されるようになります。

お花見

現在「桜の名所」といわれるもののいくつかは、江戸時代に幕府や大名が庶民に、花見を楽しんでもらおうと植樹してできたものだということをご存じでしょうか?

そのような桜の名所ができる前の人びとは、どのように花見を楽しんでいたのでしょうか?
また、「花見」という風習が実在していたのでしょうか?

実は今の桜の名所に植樹されているような「ソメイヨシノ」が無い時代には、近隣の山に入って「山桜」を観賞していたようです。

特に古代の日本人は、桜の花を<田の神が宿るもの>として崇拝していました。

「さくら」とは、本来は「田の神様がおられるところ」を意味する言葉なのです。

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「花見」の言葉の由来は「祓え」からきている。

桜はいっせいに咲いて、一気に散る。その潔さは、武士の心に通じるものとされていました。

しかし古代の日本人は、そのような見方と異なり、桜の咲き方にこのような神の訪れを感じたようです。

「稲作のはじめのたいせつな時期に、田の神が来られて私たちを見守ってくださる」と。

田の神は桜の開花とともに、人里の近くに降りてきて、花が散ると帰っていく。

こう考えた古代人は、田の神に感謝の気持ちを述べようとして桜の開花の時期に、桜の花を求めて山や野原を訪れました。

これが「春山入り」「春野入り」「春山行き」「春野行き」などとよばれる行事です。

さらに桜の花に宿る神様と過ごすことによって、身体にたまった穢れが清められるとも考えられました。

古代の日本人は、桜を愛でることを神詣でと考えました。
そして室町時代に寺院や武家屋敷の庭園がさかんにつくられるようになると、武士たちは庭の桜を見て、「よけいなこだわりを捨てて、散るべきときは潔く散ろう」と感じたといいます。

桜の花はこのようなものであるから、私たちも花見を機に日ごろの嫌な思いを忘れて明るい気持ちになりましょう。

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