神様にお供え物をする際の儀式が礼儀作法になった

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日本語の由来を知りたいと思えば、漢字などの文字の変遷を見ていくと、よくわかります。
礼儀作法の「礼」は、旧字体では「祀」と書きます。「示」は神様を表わし、「豆」は神様にお供え物をするときの台のこと、その上の「曲」はお供え物のこととされています。

この文字が伝える通り、礼儀作法とはもともと神様にお供え物をする際の儀式から生まれたものなのです。

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礼儀作法は庶民にとって高嶺の花だった

昔は神様への儀式を取り仕切るのは、昔は天皇家や貴族、大名など上流階級層の人びとでした。その格式の高い作法は、やがて下の者たちの憧れになっていきました。

いつの時代も文明の次に文化が育まれます。
衣食住という物質面が満たされると、次は精神面の豊かさ=文化を求めるようになるのが、人の精神構造です。

礼儀作法は、文化です。
江戸時代になると、経済の実権を商人たちが握っていきました。すると、彼らもやはり礼儀作法を身につけたいと思いました。しかも、上流層の人々の礼儀作法です。

そこで、町人たちに礼儀作法を教える作法家が現われるようになりました。

礼儀作法がお金儲けの商品に成り下がってしまった時代

江戸時代の作法家には他の作法家との競争心や功名心から、我流の堅苦しい作法をつくり出した者も多く、ここからも本来の日本人のあるべき姿や礼儀作法の真髄が次第にゆがめられていったようです。その流れは、明治時代にも続いていきました。

さらに戦後になると、アメリカから合理主義や個人主義がもたらされたものの、とくに教育やしつけについては、自由や個人主義の表面的な部分が強調され、取り入れられていきました。その結果、日本人本来の相手を思いやる心が次第に薄らいでいってしまいました。

自由や個性を生かすことのベースにあるものは信頼関係、つまり礼儀です。そのため、欧米では子供が幼い頃に厳しくマナーを教えます。個人の自由の前に、社会のルールをきちんとたたき込むのです。

しかし、日本では欧米のような厳格なしつけは伝わることがありませんでした。個人主義だけがとりあるきしていったような感じです。

礼儀作法は、みんなが気持ちよくつき合い、人間関係を円滑にするものです。相手への心づかいを通じて、実りある人間関係と充実した生き方の手がかりをつかんでいくものなのです。

日本人が日本人として、当たり前のことができなくなった理由

礼儀作法は、人が人として生きていくうえで当たり前のことといえるで
しょう。
ところが、時代を経て当たり前であったことが、いつの間にか当たり前でなくなったりします。

たとえば鎌倉の銭洗い弁天といえば、もともとは人々がお金によって知らず知らずに冒してしまっている罪の積れを祓う場所でした。しかし江戸時代からは、人集めのために「ここでお金を洗うと倍に増える」と宣伝したため、そう信じられるようになりました。

本来の意味合いが薄れてしまった、昔の人が大切に伝えてきた謂れや風習がお金儲けの宣伝のために間違った解釈で使われてしまう、このような例は数多くあります。

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日本人が日本人として、当たり前のことができなくなった理由として、大人がなすべきしつけが堕落したことも忘れてはなりません。

社会のルールを、子供が幼い頃に身につけさせるという意識を、大人たちみんなが取り戻さなければならないでしょう。

しつけとは本来、礼儀作法を身につけさせることによって、内と外の両面から人間性、品性を育むことをいいます。

近年の学校裏サイトやいじめ、殺傷事件の低年齢化などを耳にするたび、今こそかつて日本のどの家庭でもしていた「人間教育としての礼儀作法」を家庭で身につけさせ、自分の根っこを張り、命を大切にする心を育むことが必要です。

個人の自由はお互いの信頗関係の上に成り立っており、勝手な利己主義とは違うことを教えたいものです。

礼儀作法は無意識で行えるようにならなければ、身に付いているといえない

ところで、礼儀作法は、そのつど「どうだったかな」と考えているようでは、身についているとはいえません。礼儀作法を子供に身につけさせることがしつけです。

繰り返し教えて「忘」というところまでいくことが、しつけの目安とされています。そこで、しつけが終わったということになります。

忘とは、礼儀作法が心と体に染みわたっている状態で、江戸時代には、十五歳までにそうなるようにしつけました。人として望ましい生き方を、理屈だけではなく体全体で会得していることが、十五歳のあるべき姿だと考えたのです。

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