ブ男(醜男)は誇り高く強く、女にモテる男の象徴であった

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世の中、イケメンばかりがモテる男の象徴のように言われていますが、イケメンの定義もかなり幅広い。
特に今の情報社会の最先端をいく日本では、好き嫌いの基準も多種多様。
でもいつの時代もモテる男は、どこか身体全体から「強さ」がみなぎり、人々を魅了するもの。
古代から続く伝統的な格闘技であり、強い男と言えば相撲の力士です。
四股を踏む横綱の姿に、女性ファンの黄色い声援がとぶ。

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お相撲さんの四股は醜足の意味

力士の四股(しこ)は、見るからに男らしく、颯爽としています。
歴代の横綱の四股名は、それぞれに国技ならではの趣がある。
昔の人でも、その実感に変わりがあるはずはない。

この「四股名」は本来は「醜名」と書きました。
「醜(しこ)」という言葉は、現代の意味で調べると、肉体的(または精神的に)魅力が感じられない、すなわち醜い様子を言い、特に視覚的なものを指すことが多い。ブ男(醜男)などがその例です。
このようにしばしば醜さは、人に嫌悪や恐怖を引き起こす。精神的な醜の意味では恥と同義で使われます。

それがなぜ、由緒正しき伝統的な国技である相撲の四股名に、醜名と「醜」の字を当てたのでしょうか?

それは現代と違って「醜」とは、もともとは強いこと、強力なことを意味する言葉だからです。

『古事記』には、武く勇ましい男として「葦腹醜男(あしはらのしこお)」が登場します。
醜足(しこあし)とは、相手を踏みつぶさんばかりの力強い動作という意味なのです。
また「醜」には、自分を卑下していう語の意味もあり、お相撲さんの醜名は、自分をわざとへりくだっていったもののようです。

葦腹醜男とは

葦腹醜男は、大国主神の別名です。
日本書紀に、葦原醜男が書かれています。
葦原醜男にあたる同じなまえとして、古事記には、葦原色許男神が書かれています。
古事記に登場する醜女、志古女(しこめ)も「醜」の字をシコと読ませています。

司馬遼太郎は、生涯をかけて取材執筆した「街道をゆく」シリーズの中で、次のように述べています。

「色許男は醜男ともいい、この醜はミニクイというより、強悍という意味である。上方方言で、男の児たちがあばれちらすことをシコルという。これは、「醜る」ということです、とかつて田辺聖子さんが教えてくれた。‘醜(シコ)の御盾(ミタテ)’も強い近衛兵ということであり、また相撲で力士が土俵にのぼって四肢(シコ)を踏む、というのも、敵に対して大いに醜(シコ)を利かせてみせる、という古代からの所作、ことばであるにちがいない。ともかく、醜というのは、わるいことばではない」

以上、ブ男(醜男)は誇り高く強く、女にモテる男の象徴であったでした。

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