アメリカ人を魅了する売茶翁の禅の生き方

最近、アメリカ西海岸で煎茶のブームで、驚くことに煎茶カフェもできているという。
そして以前からの禅ブームと重なって、「売茶翁(ばいさおう)」という禅僧に注目が集まっています。

売茶翁は現代の西欧世界に生きる禅者や、知識人の間で時ならぬ人気者です。

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「茶売りしながら修行」した特異な禅僧

江戸中期の絵師、伊藤若冲が描いた「売茶翁(ばいさおう)」の肖像画は、鋭く人を射すような眼光、伸びた髭が特長です。

売茶翁(1675~1763)は黄檗宗の僧です。

京都の観光名所や、あるいは自分の店で茶を煎じて客に売り、禅の教えを説いた人物。

売茶翁、幼名菊泉は肥前鍋島藩の城下町の蓮池支藩の家に生まれました。

12歳で化霖(けりん)和尚のもとで得度し、月海という僧名をうけます。

初めて京都へ上がったのが1687年、化霖に伴われて宇治にある黄檗山に登った時だったという。

さらに売茶翁は、諸国を行脚し修行を積み、肥前の龍津寺に戻って15年間寺務に携わりました。

師の死後数年して57歳で龍津寺を去り、関西をめざしました。

還暦を迎えると京都東山の鴨川を望む「通仙亭」の仮住まいで、茶を売る生活を始めました。

僧職にありながら自活をするのは戒律に反することでしたが、それにも関わらず売茶翁は商売をはじめたのです。

京都の大通りに今で言う喫茶店のような簡素な席を設けました。
そこでやってきた客と禅道と世俗の融解した話しをして煎茶を出していたという。

茶を喫しながら考え方の相違や、人のあり方と世の中の心の汚さを卓越した問答で講じ、簡素で清貧な生活をするが為に、次第に汚れていく自己をも捨て続ける行を生涯つづけようとしたのです。

退廃した宗教界にはびこる堕落した僧たちを喝破!

煎茶道の精神の根源といわれる「対客言志」一編に、売茶翁が当時の僧侶たちを批判したくだりがあります。

「僧の中には貪りの心を持ち、施しの多い信者にこびへつらったり、布施を求めてはかりごとをしたりする者もいる、それよりは茶売りをしながら修行をする方がよい」と喝破したのです。

当時の宗教界の退廃を鋭く批判し、都の市街やその名所で煎茶を作り教えを説いた売茶翁の生き方は、人々の共感を呼びました。

若冲や池大雅のような当代屈指の絵師たちがこぞって売茶翁の肖像を描いたのも、それを欲しがる人が多かったからです。

今では地方の貴人や文人らと密に文通していたことも証明され、売茶翁は当時の京都の中心的文化人として最近注目されています。

アメリカに馴染みやすい売茶翁流の禅的な生き方

アメリカ社会では、布施を得て修行する日本の禅寺のやり方はできません。

日本にはない工夫が必要となり、普通の生活をしながら修行する在家禅の形になっている。レストランやパン屋を経営する禅センターもあることから、売茶翁はアメリカ人たちがとりいれている在家禅のモデルとして捉えられています。

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